で。その間、PC君にはいくつかの動画のフォーマット変換というお仕事をして貰っていました。変換作業は、この手のフリーウェアの多いWin 7マシン。でも、動画を見るのは専らiMac。データの移動はUSBメモリです。でも、WinとMacで使えるFAT32ファイルシステムだと、4GB超のデータを扱えません。そういう時は、躊躇せずにNTFSにフォーマットし直しちゃいます(使用後またFAT32に戻します)。でも、このNTFSって古いiMacでは読めるけど書き込めないんですよね。データは一方通行。逆方向に大容量のデータを移したい時は、一旦新iMac経由にするか、ファイルサーバを復活させるか、なのですが。大容量データの移動なんて頻繁にあることじゃないので、当面は今のままでも構わないかなって思っています。
- exFATファイルシステムにするという手もあるのですが、これは旧iMac(2008年モデル、MacOS X 10.5)では読めないんですよ(新iMac=2013年モデル、MacOS X 10.8=では使えます)。
- 新iMacをWin+Mac共用ファイルサーバにしていた時期もあるのですが、WiFiの帯域をそれなりに食ったり、通信をエレキギターがノイズとして拾っちゃったり。色々不都合なので、WiFi経由での宅内ファイル共有はヤメてしまいました。
- エレキギターのピックアップ(PU)は本来可聴周波数域付近しか拾わないはずですが、携帯電話やWiFiのノイズって結構拾います。携帯電話が着信音を出す1秒かそこら前に、ギターアンプが“ブーブー、ブブ”って言いますし、WiFiのノイズは…筆舌に尽くせぬ、変なかすれ声(笑)が間歇的に聞こえます。これがノイズになるのは、搬送周波数の問題ではなく、通信が始まったり切れたりする時の電波の強度変化を拾っているのだと理解しています(ちゃんと確認したワケではありませんが)。で、これがアンプで増幅されて、特にディストーションサウンドでは高周波成分が強調される為、ちょっとした電磁波ノイズも「エレキギターとアンプを通せば、かなり聴こえます」(笑)。
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こんなん出てきました。春に骨董品メディアを発掘した話を書いた時の物です。
結局、今年のうちに内容を読み出すことが出来なかったので、この機会に全部捨てます。
データ保存/移動用メディア色々。
左上がCD-R(DVD、BDも同じサイズですね)、右上がフロッピィディスク(FD)。
CD-Rの上に置いたのが、USBメモリ(8GB)、SDHC(32GB)、microSD(2GB)。
下はQIC-150カートリッジ(150MB)です(使ったことある人少ないだろうなぁ/笑)。
CD-R上・右下側のチビッこい黒いやつがmicroSDで(まるでゴミみたいだ! byムスカ大佐/笑)、右のフロッピィ2,000枚分の容量です。今ではmicroSDXCで64GBなんてのもありますし、通常サイズのSDXCなら128GB、256GBなんて物がフツーに流通しています(もう少し安くなるまでワタシは買いませんけど/苦笑)。
で、これがFDでどれくらいの体積になるか考えてみましょう。
- 64GBは、1MB FD 64,000枚分。FD 50枚入りの箱1,280個分。容積約1.25立方メートル。
- 128GBなら128,000枚、2,560箱、2.5立方メートル。
- 256GBなら256,000枚、5,120箱、5立方メートル。
この5立方メートルって、キッチリ積み重ねて、畳2枚の広さ×高さ1.5メートル以上です。キッチリ積み重ねて、ですよ。これが雪崩のように崩れて来たら…あまり想像したくないですね。にしても、2畳×高さ1.5メートル→SDXCカード1枚って、「技術の進歩で、倉庫1部屋分の容量が、アナタの指先の上に乗る、ペラッペラな物になりました!」てな感じですよね。
- 本当は1MB FDよりも前に、640KB FDとか320KB FDとか、FDも3.5インチじゃなくて5.25インチだとか(8インチは使ったことありません)、データ用カセットテープとか、時代を遡っていくともっともっと容量の少ないメディアも使っていました(パンチカードや紙テープといった媒体は見たことありますが、流石に使ったことはありません)。これらはもう手元に残っていませんが、これらの容積で考えると…何部屋必要とか、家何件分とか、そういった計算になるでしょう。パンチカードや紙テープだったら「東京ドーム××個分」みたいな(笑)。
10何年かでこの進化です。ムーアの法則は既に破綻しているとか言われますが、回路幅が量子限界に近づいたらチップ(ダイ)のスタッキング、次いでチップ内での回路の多層化。シリコン半導体の限界の次がMRAMなのか何なのかよく分かりませんが、10年先、20年先ってどんなことになっているんでしょうね? 記憶媒体は勿論、コンピュータという物の在り方自体、変わっちゃっているでしょう。
この辺りについて、「ポスト・ヒューマン誕生」や「2100年の科学ライフ」に面白い予想が書かれています(他にも色々な文献があると思います)。今、10年前や20年前の「将来の技術予想」を見ると、当りも外れもあります。なので、今予想している10年後、20年後は、本に書かれた通りにはならないでしょう。でも、まあ、方向性としては概ね合っているんじゃないかなぁ、みたいな。少なくとも、SFや漫画、アニメの中の世界が現実になる日は近いでしょう(宇宙進出モノは、ちょっと別、なような気がしますが…)。
そういう世界、早く見てみたい気もします(ワックワクだね♪)。ですが、その一方で、1993年とか2003年に予想しきれなかった2013年のテクノロジーが、今「日常」になっているように、2023年や2033年になった時には、その時のテクノロジーを大した感慨も無く、スンナリ受け入れてしまうような気もします(一気に世界が変わるのではなく、少しずつ変わって行くので、そりゃ感慨もあんまり無いでしょう)。さて、どうなることやら?
…にしても。
ファイルサイズなんて些末な話からココまで考えてしまうワタシって、よっぽどヒマなんでしょうね。あるいは、頭の中がまだすげーガキんちょだとか。(天の声:両方でしょう/笑)
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以下参考図書:
レイ・カーツワイル(著), 井上 健 (監訳)「ポスト・ヒューマン誕生―コンピュータが人類の知性を超えるとき」(日本放送出版協会、2007/01)
ミチオ・カク(著), 斉藤 隆央(翻訳)「2100年の科学ライフ」(NHK出版、2012/9/25)
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