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昨日くらいから、あちこちでニュースになっていますね。
という訳で試してみました。以下のような感想を持ちました。
- 語彙量と表現力が不十分なことが目立ちますが、概要は概ね正しく翻訳できることが多いようです。世界中のユーザが使うたびに「学習する」翻訳装置なので、いずれもどんどん改善されて行くでしょう。
- 日本語のような非論理的な言語と、英語のような論理的な構造を持つ言語の間での自動翻訳でも、ある程度は主語・目的語が補われ/削除され(←従来の自動翻訳はココが非常に弱かった)、ソコソコ自然な文章が作成されるようです。
- ただし、この補われ/削除される過程において、文章の一部が丸々消えてしまったり、誤った語が補われることにより、致命的な誤訳を起こす様子もしばしば見られました。
この辺りをキチンと分かった上で使えば、「かなり使える翻訳装置」になっていると思います。
たとえば日本語を英語に翻訳する際には、日本語で曖昧になりがちな
- 時制、単数/複数、定冠詞・不定冠詞の違いを明確にする
- 論理の流れが明確になるような文章構造にする
- 句読点や括弧を有効に使う
- 1文1文を短めに区切り、各文の関係を接続詞で明確にする
①日本の有名な文学作品の英訳 (原文を整えています)
入力例①(和文)
まぁこれ位手を入れないと、正しそうな英語は出力してくれないということで。ここでも、たとえば「おじいさん」では「old man」なのか「grandfather」なのかわからなくなるので、「老人」。「おばあさん」は「老女」。時制も全て過去形にしています。句読点ひとつで英訳が結構変わっちゃうので、そこも工夫しています。…と苦労(でもないか)をすると、出力はソコソコ正しそうな英語になってくれます(まだ納得しきれる物ではなけど…もういいやっ!/笑)。「どんぶらこ、どんぶらこ」の所だけ、どうしても英語に出来ませんでしたけどっ!(笑)
出力例①(英文)
上の翻訳へのリンク:
- このGoogle翻訳(文章付き)に飛ぶリンクですが、「学習する翻訳装置」なので、皆様が御覧になる時は、当ブログとは出力(英訳)が少し異なっているかも知れません。
最初から論理構造のしっかりした日本語の場合、原文ママで概ね正しそうな翻訳をしてくれます。
入力例②(和文、数字をアラビア表記に変えた他は原文ママ)
出典:加藤周一「日本文学史序説〈上〉」(筑摩書房、1999/04), p. 25
出力例②(英文)
上の翻訳へのリンク:
口語表現については面白い?微笑ましい?です(感嘆詞に対する翻訳は結構ダメダメですねえ/笑)。コテコテの方言(日本語の多様性)への対応はイマイチですが、でもそこそこ翻訳してくれるようです(以前よりはるかにマシになったような)。以下、サンプルその③・④。面倒なので(笑)スクショ無し・Google翻訳へのリンクのみで行きます。
③関東エリアでありそうな口語表現の英訳
次は、英文和訳、Webページまるまるやってもらいましょうか。
⑤英語作品のWebページ和訳
- 原文:Authur Conan Doyle, A Study in Scarlet (邦題:緋色の研究 or 緋色のエチュード) PART I, CHAPTER I (英語版Wikisource) <https://en.wikisource.org/wiki/A_Study_in_Scarlet/Part_1/Chapter_1>
- Googleさんの和訳:<https://translate.google.co.jp/translate?sl=en&tl=...>
では、もう一丁!
⑥英語作品のWebページ和訳・その2
- 原文:Maurice Leblanc, Arsene Lupin (邦題:怪盗アルセーヌ・ルパン) CHAPTER I (英語版Wikisource) <https://en.wikisource.org/wiki/Ars%C3%A8ne_Lupin/Chapter_I>
- Googleさんの和訳:<https://translate.google.co.jp/translate?sl=en&tl=...>
まぁGoogle翻訳さんには、もっと勉強してもらい、より便利な翻訳装置になってもらいましょう。
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後半ちょっと暴走しましたが、本題に戻ります。
今後の語学教育(特に最初の外国語=英語=で)は、言語間の論理構造の違いを学び、翻訳ソフトを使いこなす手法を学ぶ、という部分に重点がシフトして行くかも知れませんね。教育する側(学校・塾)がそのように意図せずとも、学習する側(生徒)がどんどん自動翻訳に依存するようになって行くのは間違いないでしょう。ただ、翻訳装置の出す訳文が正しいか否かを判断する読解力(いずれヒアリング力も)は必要ですから、語学力が不要になる日は当分先でしょう(書く/話すのは母国語が中心になって行くでしょうから、外国語のライティング力・スピーキング力の重要度は下がっていくかも知れませんが、文章の論理構成力は必要です)。翻訳装置の力を借りるのがどんどん当たり前になって行き、語学教育/学習の本質すら変わってしまう気がします。
翻訳業の方々はこれからは、従来よりも「腕の見せどころ」が増えるでしょうね。専門用語などは機械はすぐ学習してしまいますが、言語間の論理構造・文化の違いを超えて、解り易く伝えるというのは、機械が行なうのはもう少し先だと思います。ここに人間の活躍の場がありそうです。
- ン十年前の海外の専門書の翻訳本って、業界の大御所(英語の専門家ではない)が翻訳する本も多く、読み難いものが多かったように思います。それがここ10年位の間でしょうか、優れた翻訳家が多く出てきました(彼ら/彼女らの翻訳作業を見ていると、特定の分野の専門家ではなく、翻訳の専門家と言えるでしょう;翻訳作業に入るにあたって、その業界の用語等を猛勉強してから翻訳作業をしているようです)。
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柄にもなく結構真面目なコトを書いてしまいました。明日は趣味丸出しで行きますよ!(笑)
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